観光客でにぎわう函館駅から徒歩5分ほど、「津軽屋食堂」ののれんをくぐると、そこは「昭和」そのものでした。天井の扇風機には「Toshiba」の見慣れない筆記体が。まるで時が止まったかのようです。
ウナギの寝床のような店内には、年季の入ったパイプ椅子が並びます。エアコンがないので、天井の扇風機が涼を運んでくれます。「50年くらい使っているかな。昔のモノは丈夫だねえ」と、店主の池上秀子さん(72)さんは笑います。
俳優の綾野剛さんと菅田将暉さんがビールを飲みながらカレーを食べている! 函館を舞台に底辺を生きる家族を描いた映画「そこのみにて光輝く」(2014年)の中でのことです。原作の小説は昭和に書かれ、その世界観にぴったりだとロケが行われたのです。
8月上旬に取材した日も、映画のファンが訪れていました。札幌市の会社員、水木えりかさん(31)は友人と、「時が止まったよう」と珍しそうに店内を見回していました。
函館といえば、出身の人気ロックバンド「GLAY」。池上さんは来店したメンバーと会話を交わしたことがあるそう。彼らのファンも店をにぎやかにしてくれます。
総菜が170円という安心感
さあ、私も注文をしましょう。入り口の大きなガラスのショーケースに20種類ほどの皿や小鉢が所狭しと並んでいて、目がくぎ付けになります。カレイの煮付けや肉じゃが、きんぴらなど、親しみのある家庭料理ばかりです。煮魚や焼き魚は300~400円ほど、ヒジキや切り干し大根の煮物など定番総菜は170円とお手頃です。料理も値段もメニューも昭和感たっぷりです。
函館近海では毎年6月にスルメイカ漁が解禁されます。入荷は天候に左右されますが、8月上旬の取材に訪れた日は、運良くイカ刺しが並んでいました。「いいタイミングで来てくれたね」と池上さん。イカ刺し、イカゲソのサラダ、ホタテフライ、キャベツ煮、紅ザケの塩焼き、ご飯、みそ汁。テーブルがいっぱいになりました。夢のような光景です。
細く切られたイカ刺しは、透明感があり、かむとコリコリとした食感で、ねっとりとした甘みを感じます。キャベツ煮は一口食べると甘さが際立ち、思わず「うまい」と声が出ました。何より魅力的なのは、店では朝から堂々とお酒が飲めることです。常連や観光客、出張中の会社員などが、ビールのグラスを傾けています。
この日、開店と同時に一番乗りしたのは、海洋調査船の運航会社に勤める大阪府松原市の大宮勝之さん(51)。海底ケーブルの撤去作業のため約3か月船上生活を送り、休日に函館でお店を物色するうちに、津軽屋食堂がお気に入りに。大阪に帰る直前に訪れたといい、高校野球の中継を見ながらイカ刺しでビールを飲み、「こんな店、大阪にもない。また来たいよ」と、名残惜しそうでした。
正午頃になると、ワイシャツ姿の人たちが詰めかけます。ランチは「早い、安い、うまい」を具現化したようなカレー(550円)が人気。アルミの銀皿にご飯とルーがたっぷりのり、カツカツとスプーンの音を立てながら、かき込んでいます。
細やかな気配り
店は1965年、小樽市に住んでいた池上さんの両親が函館に移住して始めました。父の勤務先が倒産し、閉店するはずだった店を当時の経営者から引き継いだのです。その人が青森県弘前市出身だったのが店名の由来らしいとのこと。当初は朝7時から夜11時までの営業で、当時、高校1年だった池上さんも手伝いました。朝食を食べる会社員でにぎわい、北洋漁業の船乗りが出航前に詰めかけました。
池上さんは会社勤務などを経て結婚しましたが、3人の子供と実家に戻り、店を手伝うように。一緒に母の味を受け継いだ従業員の松坂恵美子さん(75)と店を切り盛りします。
「接客が苦手で本当はやりたくなかった。目立たないようにしている」と池上さんは打ち明けますが、店内を見ていれば、池上さんのさりげない心配りが長く愛される理由だとわかります。
別の町から2時間以上かけて函館市内の病院に通う85歳の女性は、月に1回ほど店に来ます。注文するのはいつも鍋焼きうどんと決まっていて、池上さんは高血圧の薬を飲む女性のために、味付けを薄めにします。女性が1時間近くかけて食べ終わると、池上さんは入り口まで送り、「風が強いから気をつけてね」と手を振っていました。
歯の調子が悪い高齢男性には、ご飯をおかゆにして出していました。開店時間より30分早く来た客には、「もうできているから入って下さい」と声をかけます。なんだかほっとできる雰囲気です。池上さんの人柄が、昭和レトロな温かさを生み出しているのかもしれません。
「こんな店が近くにあったら、毎日通うのに」と、後ろ髪を引かれる思いで函館駅に向かいました。次は、ビールを飲みながらカレーと肉じゃがを食べると決めています。
(文・読売新聞教育部 福元洋平 写真・三浦邦彦)
津軽屋食堂
住所 北海道函館市松風町7―6
営業時間 午前10時半~午後6時
定休日 木曜、第1、3水曜日
アクセス JR函館駅から徒歩5分
「食堂のおばあちゃん」では、全国の食堂を巡り、現役で活躍する高齢者たちに、おいしさの秘けつや人生の喜びなどを聞いていきます。読売新聞朝刊や読売新聞オンラインでも関連記事を掲載します。おすすめの食堂の情報を、推薦理由や思い出などとあわせてkurashi@yomiuri.comへお寄せください。
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