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Friday, August 14, 2020

<つなぐ 戦後75年>鳥居の石柱を戦災遺跡に 深川生まれの浜田さん、富岡八幡宮に説明板を奉納 - 東京新聞

鳥居だった2本の石柱の横に立ち、隣に設置した説明板について語る浜田さん(左)と、丸山宮司=江東区で

鳥居だった2本の石柱の横に立ち、隣に設置した説明板について語る浜田さん(左)と、丸山宮司=江東区で

 「深川の八幡様」として知られる江東区の富岡八幡宮(富岡1)の境内の奥に、2本の石柱がひっそりと立っている。東京大空襲で破壊された鳥居の柱だ。氏子の浜田嘉一(よしかず)さん(83)=国分寺市=が今夏、柱が貴重な戦争の痕跡であることを伝える説明板を奉納し、柱の隣に設置された。「大空襲で東京の下町一帯は焼きつくされ、爪痕が残されていない。広島の原爆ドームのような戦災遺跡になれば」と、思いを語る。 (井上幸一)

 富岡八幡宮や柱の説明文によると、鳥居は一九三七年に合末社(ごうまっしゃ)の前に建立された。四五年三月十日の東京大空襲で八幡宮は大部分を焼失し、鳥居も焼夷弾が直撃。上部の笠木、貫(ぬき)の部分が崩れ落ち、二本の柱だけが残された。

 浜田さんは三七年、地元の深川生まれ。小学生のときの東京大空襲では焼夷弾の雨を逃げて助かったが、祖父、伯父を亡くした。父は大陸で戦死している。

 合末社周辺は、幼少期の遊び場で、落ちていた焼夷弾の空筒を振り回した記憶もある。六二年に八幡宮で結婚式を挙げたとき、二本の石柱が自身と「同い年」の鳥居跡と気付いたが、見慣れた光景のため、その意義まで思いが至らなかった。しかし昨年、昭和天皇による大空襲被災地視察を伝える碑が境内に建立されたことから、「壊れた鳥居も戦災の記憶をとどめる遺跡だ」と考え、説明板の奉納を八幡宮に願い出た。

 説明板は六月に設置された。丸山聡一宮司は「こちらが気が付かないことをよく申し出てくださった」と、浜田さんに感謝している。一方、戦後七十五年間、鳥居が修繕されずにきた理由については「分からない」とする。

 大空襲を語り継ぐ活動をしている浜田さんは「鳥居が七十五年間、被弾のままの姿だったことは、大空襲の記憶をとどめよという八幡神の意思なのでは」と話している。

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