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Wednesday, March 24, 2021

「気さくで素晴らしい男だった」古賀稔彦さん死去…5月の聖火リレー走者かなわず - 読売新聞

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 1992年バルセロナ五輪の柔道男子で金メダルを獲得した古賀稔彦さんが53歳で死去した24日、佐賀県内の関係者からも悲しみの声が上がった。5月10日の聖火リレーで出身地・みやき町を走る予定だったが、かなわなかった。

 「気さくで話しやすく、素晴らしい男だった。これから一緒に(アスリート育成を)やっていこうと誓い合っていたので、本当にショックだ」。山口知事は24日、報道陣の取材に応じ、早すぎる別れを惜しんだ。

 古賀さんは92年、県から第1号の県民栄誉賞を授与された。2000年に引退した後は柔道の普及や女子選手の強化などに尽力。古里にも思いを寄せ、県内で子ども向けの教室を開いたり、講演したりしてきた。

 スポーツ振興に取り組む県の依頼を受け、19年5月、県内アスリートの育成に携わるアンバサダー(大使)になった。県庁で行われた就任式には、柔道着姿で出席。指導者の重要性や幼少期からスポーツに触れることの大切さを山口知事に熱く説き、「佐賀県に恩返しする気持ちで、育成を手助けしたい」と話していた。

 聖火リレーを間近に控えた中での訃報ふほうに、山口知事は「体調が悪いという話は聞いていたが、何とか走ってもらえると期待していた」と肩を落とした。

 古賀さんは、みやき町の「ふるさと大使」も務めていた。末安伸之町長は「地元での講演会で、子どもたちに夢を持つ大切さを語ってくれた姿が忘れられない。本当に残念でならない」と話した。

 古賀さんと10年以上の付き合いがある県柔道協会の小形健二理事長(64)は「地元の柔道の振興や普及に尽力していただいた。これからという時に惜しい」と悔やみ、人柄について「『普通の人間であってください』『あいさつがきちんとできること』と、講演での礼儀を重んじる発言が印象に残っている」と振り返った。

 古賀さんの母、愛子さん(79)は24日、みやき町の自宅で、読売新聞の取材に応じた。突然の悲報に、「びっくりしている。子どもを見送らんといけないというのは、やっぱり親としてはつらい。息子とは、もう話もできないし、もう帰ってこない……」と言葉を詰まらせた。

 古賀さんの知人らが愛子さんのことを気遣って、電話をかけてきたり、自宅を訪ねたりしていた。

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