ロッテ鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンで引退会見を行った。阪神で16年、ロッテで2年の計18年間。誰にも負けない練習量で通算2099安打を放ったスター遊撃手に、涙はなかった。阪神時代の担当記者が鳥谷の心の内に迫った。
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なぜ、現役を続けるのか。なぜ、最後まで早朝から体をいじめ抜くのか。
「好きだけで野球をやっていたら、とっくに辞めていたよ。仕事だから、できる。家族だったり周りの人だったり、続けたら喜んでくれる人もいる。得意だとも思うから、家族を養うためにもやる。それだけ」
阪神を退団した2年前も、ロッテで現役続行を決断した1年前も、鳥谷のスタンスは不変だった。
昨秋、「けじめとして」1度は東京都内のマンションを引き払った。20年3月、春季キャンプ不参加の状態でロッテに電撃入団。出場機会が限られ、「引退」の2文字が現実味を帯びていた。それでもあえて重圧のかかる道を選択。覚悟の現役続行には「誰がために」という側面もあった。
直前の昨年10月28日ソフトバンク戦。突然、遊撃で先発起用された。当時の遊撃手記録となる通算1768試合出場。「自分が記録という日にスタメンで出してくれた。もっとチームに貢献していかないといけないと思った」。必要とされる限り力を尽くす。プロ野球人としての使命感がなければ、最後の1年は存在しなかったかもしれない。
引退会見では、プロに徹し続けた日々を思い返して本音もこぼれた。
「ロッテではそうでもなかったけど、阪神にいる間は『野球選手の鳥谷敬』を一生懸命演じている感じだった。私生活と野球選手は別物として考えて、『野球選手の鳥谷敬』としてどう振る舞うかを考えていた」
プロで生き抜くと決めた早大時代から「好きとか楽しむという感情はもうなかった」。注目度の高いチームに入団後はさらに心を強める必要に迫られた。「自分より能力を持った選手が代わりに出ることに恐怖があった」。16年間の阪神時代は腰椎や鼻骨が折れてもグラウンドに立ち続けた。
ロッテでの2年間は何度となく後輩の相談に乗り、出番激減で潮時を悟った今夏以降も浦和球場で体をいじめ抜いた。「2軍に落ちても、試合に出られなくても、引退決断の日まで毎日しっかり準備を怠らずにできた。その日々は誇れるかな」。だから「心残りはない」と即答できる。
阪神退団から2年が過ぎた。「あのまま引退した方が楽」と理解した上で選んだ再挑戦の日々に今、心から感謝する。「この2年間は人間として本当にたくさんのことを勉強させてもらった。あそこで辞めなくて良かった」。鳥谷は最後、ようやくプロ野球選手の仮面を外し終えると、柔らかな表情で会見場を後にした。【遊軍=佐井陽介】
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