Pages

Monday, August 10, 2020

【2020 戦後75年】説明なく「掘れ」 前田さん、ウラン鉱掘に動員 - 福島民友

 唯一の戦争被爆国となった日本でも戦時中に原爆開発計画があった。陸軍などが開発を目指したものの、基礎研究にとどまり、ウランの確保も進まなかった。原料となるウラン鉱石の採掘場所となったのが希少鉱物の産地で有名な石川町。地元の石川中(現学法石川高)の生徒が勤労動員された。

「先生から何も詳しい説明はなく『ここを掘れ』とだけ言われた。まさか原爆の材料だったとは」。極秘で進められた計画。同級生と一緒に町内で採掘した前田邦輝さん(90)=石川町=が、原爆開発の一端だったと知ったのは戦後のことだ。

 1945(昭和20)年4月ごろ、陸軍とその要請を受けた理化学研究所が石川中の3年生ら180人を動員して微量のウランを含むペグマタイト(巨晶花こう岩)と呼ばれる岩石の採掘を始めた。石川町はウラン鉱石の供給地として開発計画に組み込まれていた。

 採掘現場は町内に複数あり、全て手作業。つるはしやスコップが手渡され、手でも掘った。後に知ったことだが、陸軍の関係者から「マッチ箱一つでニューヨークを吹っ飛ばすことができる爆弾の材料になる」と言われた生徒もいた。

 毎日「国のため」

 生徒は班に分けられ「ウラン鉱掘」と呼ばれる採掘と石川町沢井の軍用飛行場造りを担った。毎日続いた作業は午前8時ごろから午後5時ごろまで。つらかったが、「国のために働いた記憶しかない」と振り返る。

 終戦後、ウランの原料がほとんど採れなかったことを知った前田さん。原爆の加害者にならずに済んだことを安堵(あんど)し、「当時は口にできなかったが、今思い返すと当時の日本にはそんな技術はなかったんだ」と話した。

 前田さんは友人と「戦争を語り継ぐ会」を結成、伝え残す活動をしたが、高齢化などを理由に5年ほど前に解散した。「当たり前のことなんだが戦争体験者は100歳を超えた。私も90歳になった。本人が語り継ぐことは難しいが、ここで何があったのか、戦争とは何なのかを語り継がなくてはいけない」と平和への願いを口にした。

Let's block ads! (Why?)



"説明" - Google ニュース
August 10, 2020 at 07:38AM
https://ift.tt/3kAig1l

【2020 戦後75年】説明なく「掘れ」 前田さん、ウラン鉱掘に動員 - 福島民友
"説明" - Google ニュース
https://ift.tt/2UErW0i
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update

No comments:

Post a Comment