楽天はヤンキースをFAになっていた田中将大投手(32)の入団会見を30日、都内で行った。会見には三木谷浩史オーナー、石井一久GM兼監督も同席。背番号「18」のユニホームに袖を通した。マー君の楽天復帰は2013年に脅威の24勝無敗の成績を残して球団初のリーグ優勝、日本一を手にして以来8年ぶりとなる。
最初はヤンキースとの再契約を希望
ヒーローは“名会見“で古巣カムバックの第一歩を踏み出した。30日、都内のホテルの巨大なバンケットルームで行われた会見にスーツ姿で現れた田中は、約39分間にわたって、時にユーモアを交えながら、質問をはぐらかすことも、答えを誤魔化すこともなく、とても真摯に思いのたけを語った。 なぜマー君は楽天復帰を決意したのか。 田中は本音を隠さず説明した。 「正直な話をするとヤンキースで再契約してプレーしたいとの思いがあった。しかし、もうかなり早い段階で、お話を代理人から聞いている中で、これは別々の道を歩いていかないといけないんだなという風に感じた。それ以降、様々なことを考えた。(今後)アメリカの方(メディア)からオファーがあったとか(情報が)出てくると思うが、世界中が厳しい中でも7年間プレーしたことを評価していただき、大きなオファーもあった」 米メディアはヤンキースがDJルメイヒューとの再契約最優先にしていたことを報じ、その後、サイヤング賞2度受賞のコーリー・クルーバーと、パイレーツのジェイムソン・タイヨンと、チームが先発投手の補強を発表するたびに田中との再契約の可能性がどんどん低くなっていることを順に伝えた。だが、実のところ当の本人は、早い段階で再契約の可能性が薄いことを知り他の選択肢に目をむけていたのである。 メジャーではエンゼルス、ブルージェイズ、パドレスらが最後まで食い下がったとされる。「大きなオファー」と言うのは、おそらく田中側が求めていたとされる1500万ドル級(約15億6000万円)のものだったのだろう。そこに楽天からのオファーが届いた。 新型コロナ禍は楽天の球団経営を直撃。「スポーツ界が厳しい状況」(立花社長)にある中、立花社長と石井GMが三木谷オーナーにお伺いを立てたところ「絶対に取れ」の大号令がかかった。メジャーと比較しても恥ずかしくない条件のオファーを楽天グループの総師が認めたのである。田中は「今まで考えたことがないくらいに考え悩んで悩んで悩み抜いた」末に古巣の復帰を選んだ。 「どういう野球をしたいか。どういう環境で野球をしたいかが一番だった。イーグルスでプレーをして、また日本の方々の前で投げるということを上回ること(オファー)は最後までなかったので、この決断をした」 三木谷オーナーが「男気、心意気に感謝したい」という決断には運命のような導きがあった。楽天が本拠地を構える東北が、未曾有の大被害に襲われた東日本大震災から10年。ヤンキースに移籍後も、オフには、被災地への激励を続けていた田中は、ずっと第二の故郷へ特別な思いを抱き続けていた。復興は終わっていない。しかも、そこに新型コロナ禍という厄介な問題が降りかかっている。社会を包む、どうしようもない閉塞感。そこに希望の光を灯すことができれば…と田中は立ち上がったのである。 「震災から10年という年。自分にとって意味のあるタイミングなんじゃないかと思った」 田中は、ここまで「少しでも言うと誤解を招き(コメントが)独り歩きするので」と楽天復帰への気持ちは胸の中にしまってきた。 「また必ず帰ってきて…楽天イーグルスで、キャリアの晩年ではなく、どこかのいいタイミングで、また日本でバリバリ投げたいとの思いははじめからあった」
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